About Me

1967年5月30日東京世田谷区生まれO型:)ひとりっこ、シングル&ノーキッズ。どこまでもひとり続きなとおり、ひとりが好き、横並びの集団が苦手、でも人が好き。

ヒメという名前は、当時の同僚が巻き髪だったという理由だけで私につけてくれたあだ名です。特に容姿、言動が姫っぽいわけではないのでヒメ。

ひとりっ子のせいかどうか定かではありませんが、子供のころからひとりが好きな子だったようです。かといって人嫌いではなく、お友達とよく遊ぶ子供。

私の幼少期(母談)
・高熱を出し心配している母に、ひとりでトイレに入る!と言ってきかず、そっと見守れば中でひきつけをおこし倒れていた。
・大人もびっくりなステーキ(レア)をペロリとたいらげた。
・幼児が参加するTV番組に連れて行ったら、みんなから離れひとりセットの裏、紙吹雪で遊んでいた(それが映ってた)。

なんとなく私をあらわすエピソード。私をよく知る人が聞いたら変わってないねっていいそう。

中学3年生、15歳になったころ父が突然亡くなりました。このできごとの色々から、パタンと一番大きな心の扉を閉じた気がします。もともと、なんでもひとりでしてしまう性格もここでぐ~んと加速。

今思うと、私の人生の価値観が形成されたのはこの時だったんじゃないかなって思ってます。

頭になんとなく描いていた将来が一瞬にして真っ白になり、心にポッカリ空いてしまった穴をひとりではどうしても埋めることができず、高校へ行くのさえどうでもよくなっていましたが、高校を卒業。

大学へ行かないなんて何言ってるの!でもお金はない、、、という母の要望?と、大学へ行きたいけど、自立して学費を稼ぐ自信もなく、勉強もしてなかったので思うようなところへ行けるはずもなく、へんな希望をすり合わせ、旅行の専門学校へ入学します。

ところが入学してわかったのは、私は旅行を仕事にしたかったわけではなく、自分が旅して色々な世界を見たかっただけという、なんともマヌケで単純な理由に気づきあっさり方向転換(あの時のきづきのとおりになりました )。

そして、当時(30年前くらい)日本ではまだ職業として確立していなかったネイルの仕事をしようと決め、アメリカ・カリフォルニアでライセンスをとりネイリストになりました。

結局それから四半世紀以上ネイルの仕事に携わることになったので、向いていたのかもしれません。

↓私の人生で多くの時間を費やしていること↓

-TRAVEL- 旅
初めてのひとり旅は二十歳のときのハワイ。あれから、、、旅の80%はひとり旅。
私の中でどこかへ行くことは、旅行が好きとか旅行したい、という感覚ではなくて。ただただ、どんなところか見てみたい、~を食べてみたい、~したらどうなるんだろう、どんな空気感なんだろう、っていう好奇心の延長です。
ひとり旅というのも、とくにこだわってのひとり旅ではなくて(集団行動は苦手だし、ひとりが好きだけど)、似たような価値観で旅できる人がいなかったり、一緒に行く人がいなかったら諦めるということができないからです。
わがままなんですね、何かやりたい!と思ったらやってみたいタイプ。だから、旅の途中で知り合った人と一緒に旅したり、ご飯を食べたりするのは大好き。びっちりとスケジュールをこなす旅よりも、行き当たりばったり的な、のんびりした旅がすきです。

-MUSIC- 音楽
子供のころピアノ、お琴、ギターを習うも半泣き。そのせいか音楽を聴くのがものすごく好き。
従姉弟の弾くピアノ、ドラムにエレキギター、両親が好きなシャンソン、教会の讃美歌、ロックにポップスなどなどの音楽に触れ育つ。
小学生、私の世代ではお決まりのピンクレディーにもちろんはまるも、その音楽というよりは、あのキラキラした衣装のほうに魅了されていました。
その後中学生からはどんどん洋楽の道を進み、高校生になってよく聞いていたのは、ファンク、R&B(今思うと私大人だな)。そこからヒップホップ、ハウス、ジャズ、サルサ、ラテン、と幅は広がり、大好きな音楽が大音量で聞けて、ピンクレディーみたいな服を着れるクラブへ行くのが楽しくて、週5、いや週7の勢いでクラブ通いをしていました。
今も一日の始まりは音楽のスイッチを入れること。

-FOOD-  美味しいもの
外食好き、作るのも好き。日本食はやや苦手、寿司は大好き、一生食べていたいのはペルー料理。
外食好きの父と、料理下手な母、ともにカフェ(喫茶店)好きという、上手い組み合わせだったため、外食率高めの家庭でした(昭和なので出前とかも含めて)。
そして、父亡きあと専業主婦だった母は働くようになり、外食率は高いまま成長しました。若いころ家庭の味はなかったけど、人に恵まれいろんな人たちに美味しいものを沢山食べさせてもらいました。
だから今でも外食好き、カフェも好き。イタリア料理、メキシコ料理、ペルー料理が私の中の3大料理です。ただ最近ちょっと寂しいことは、以前のように沢山食べたり飲んだりができなくなってきたこと(年齢的な問題か)。

-NAIL-  ネイル
手先が器用なわけでも、絵が上手なわけでもなく直感で決めたわりに長く続いたネイルの仕事、自分でもちょっとびっくりです。
マニキュアリスト(ネイリスト)になろうと思ったきっかけは消去法みたいなものでした。もともと手も爪も大きく、いちいちそこに触れられるのが嫌いでした。でも、ネイルをしていると、そちらに目がいって手の大きさについてはノーコメントになるのですね(そのかわり当時は「そんな爪じゃ何もできないでしょ」と散々攻撃されましたが、そこは気にしませんでした)。そんなコンプレックスからの解放もありネイルは好きでした。母がずっとネイルをしていたので、その影響もあったかもしれません。
そして、将来何になりたい!という明確な目標はなかったのですが、やだなと思うことはあって。それは、満員電車に乗りたくない(喘息もちなのでギューギューな真ん中とかで苦しくなるとちょっとこわい)、自分の好きな髪型やネイルをしていたい(当時は髪型やネイルの自由度がかなり低かった)、みんなと同じリクルートスーツは着たくない、休みがとれないとか絶対にいや(旅行に行けない)、、、もうたんなるわがままです。
そんな時ネイルのことを考えたら、当時はネイル=フリーランスしか思い浮かばず。となると、自分がやりたくないことをやらずに、自分の思うように仕事ができそうだなと。

そして私の時代のネイル先進国アメリカでライセンス取ってマニキュアリストになろうと決めたわけです。
で、ネイリスト(マニキュアリスト)になってみると、ネイルって最初から最後まで一人でできる仕事なんですね、言葉がなくても何をやっているかわかるし、ちょっとオタク的な暗い作業もあったり、これが自分に合っていました。
とはいえ、技術的素質があってネイリストになったわけではないので、何ができるだろうとは考えました。それで、できること全部やってから考えようと。
ネイルサロンで働くネイリストに始まり、車に怪しげな液体やコンプレッサーなど積んで塗装屋さん?と間違えられた出張ネイル、商材を買いにいちいちLAまで行ったり、講師や店舗運営、ボランティア、商品開発やプライベートサロンもやってみたり。。。
私は何かにハマるとすごく集中する反面、飽きっぽいところがあるので、ネイルを使って様々な仕事に携わることができたのはよかったです。私が今までネイルを続けてこられた要因はそこです。ネイルサロンで働くネイリストしか選択肢がなかったら数年で辞めていたと思います。だから、私はネイリストというよりは、ネイルを使って仕事をする人のほうが正しいかもしれません。そして、思うように手が使えなくなってしまった現在は、これからどんな形でネイルと関わっていこうか模索中です。

別ページに「ブログをはじめたきっかけ」を書いています。よろしければ読んでみてください。

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